僕の流転日記5-そして少し安定する-

僕は医療界で働くことになった。
最初は診療所に飛び込んで、栄養士が患者の
食事日記を添削するサービスを医者に紹介
していた。

もちろん、まず受付が突破出来なくて、突破
しても怪しい人扱い。
それはそーだ。若僧が急に来て、医者に
生活習慣病を予防もしくは改善する為に、
うちの栄養士の食事添削サービスを患者さん
に使いましょう!」とか言い出すんだから。

医者って、男ばかりだし食事指導なんかより
も結果の出る薬を処方する事しか考えてない。
だから、僕が言う事は彼らの治療方針の否定
になってしまう。
当時は分からなかったけれど、ムカつくこと
いうガキだなぁって感じだったと思う。

しかも、保険点数内で食事添削サービスの料金
がまかなえるとは言え、その点数を取る医者は
悪者という認識も広がっていて、怒り出す医者
もいた。

それをやってるうちに、クリニックに置いて
いる無料レシピ集の営業も並行してやる事に
なった。

無料だから、医者には怒られずに設置許可を
もらえるし、どんどん設置クリニックは増えて
いった。
大手のディーラーが医者に配るという契約も
決まり、あっと言う間に1000箇所を越える
クリニックがレシピ集を置いた。

そして、営業もとてもやり易くなっていった。
なにしろ、その冊子は無くなると患者が医者
に欲しいと言い、医者が欲しいとディーラー
に言うのだから。市場に求められている感覚
があった。

最初部数は当然少なかったが、それでも大手
企業から広告をもらえてしまって、舞い上がっ
たというか、調子乗ったというか。
そこから僕は自信を付けて、テレアポに明け暮
れる様になる。

もちろん単にあり物の原稿を入れてもらう
なんて考えてもいなくて、企画で勝負して
価値を売って高い売上を!と思っていたし、
実際にそれが出来ていた。
しまいにはライティングも担当し、評価は
高くはなかったけれど、自分が作った実感の
ある広告が世の中に出て、嬉しかった。

ベンチャーだったので、投資してくれる方々
がいて、彼らから「お前の先に、クライアント
は会社を見ている。お前だけの手柄と思う
な!」と戒めてもらったのも、良かった。

僕は一時期を除いて、謙虚?に仕事してたと
思うから。態度は偉そうでも、バックで僕を
支えてくれている社員に感謝もしていた。

僕は初めて二年以上働きに働き、自分で考えて
行動しながら売上を拡大していった。
そして、5年目あたりから少しずつ歯車がハマ
らなくなっていく…
きっかけは、会社が決めたレシピ集を1回
増やす決定だった。